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自由を差し出し残業を手に入れた

サラリーマン人生の始まり

 

老後の不安な生活は、ここから始まっていたんですね。

 

 

大学4年生の春、最寄りの駅前にあった洋菓子レストラン  

 

日々の生活費に困っていた私は、アルバイトをしたいと
ガラスの自動ドアをくぐりました。

 

ケーキの甘い香りとコーヒーの焦げた匂い。 
カレーやナポリタンスパゲッティの匂いもしてきました。

 

若者の胃袋には夢のような職場です。  面接ののち、採用となりました。

 

 

もともと勉強が好きでない私は、朝の9時から夜の11時まで バイト漬けでした。

 

バイトの日々は楽しかった。
お金のためもあったけど 毎日笑いがありましたよ。

 

 

やがて役員の人から呼び出されて

 

「卒業したらウチに来ないか」

 

決して成績の良くなかった私は、就職活動での自信はなかったので
そこで正社員として働くことに決めました。

 

今から思うと、なんて安易な生き方をしていたのでしょう。

 

 

一週間に一日の休み
駅前だし、元旦から営業。
近くには時々芸能人が通うミッションスクールがあり、
クラブ活動の学生さんで賑わっていたため 夜は10時半のラストオーダー。

 

私の時もそうでしたが、大学は毎日朝から講義があるわけではなく
朝からお茶を飲みに来る学生がチラホラいたりして
あの界隈では 一二を争うお客さんの多い店舗でした。

 

一階でのケーキ販売 パンの販売 お進物の販売
このケーキと、このケーキを組み合わせるなら この箱で。
意外と難しかった、ぴったりの大きさの箱の選定。

 

お客さんから食パンを○枚切りにして などと要望がある。
一階にも客席があり 7テーブルを守ることになる。

 

売店のお客さんの応対と飲食のお客さんへのサービス。
目が回るほどの忙しさでした。

 

そんな一階の仕事と二階レストランのウェイターの仕事を
一年間でマスターした私は、アルバイトから正社員へと
華麗なる昇華を遂げるのでした。

 

 

こうして、5番目のアルバイトが私の社会人最初の職業となったのでした。

 

 

 

 

厨房での格闘

 

配属は厨房。

 

厨房を制する者は店を制する。
とか何とか言われてそのまま言うとおりに…。

 

フロアが手一杯の時は随時フロアへ回り
白衣のままウェイターもやる。

 

定時は朝の 9時から 夜の 9時 まで。

 

「何時から何時までは働いてるの ?」 とのパートさんからの質問に

 

普通に答えた私は、笑われながら 「大変ね」 と言われました。

 

まだ、『ブラック企業』 なんて言葉がない頃です。

 

 

長く働く 職場が大変ならいつでも応援しに行く。

 

 

それがカッコイイ 事と思っていました。

 

そして、とても重宝されました。

 

最初は、飲み物から。  そしてパフェやサンデー  サラダ  そして大量の皿洗い

 

やがてストーブと呼ばれる オーブンレンジの前へ立つことになるのですが、
フライパンの重いこと重いこと。

 

ライスもスパゲッティもフライパンを振るたびに 周りにこぼれ落ち・・・。

 

キャベツの千切りでは、一日にキャベツを 5つくらいは刻みます、一人で 包丁一本で。

 

左手の指は 親指を除く 4本 第一関節と第二関節は全て包丁で切りました。

 

 

様々なソースの仕込み、やけどの毎日。

 

それでも 12時間労働は当たり前と 本気で思っていました。

 

何が定時ですか。
世間知らずの若者を、定時と残業の明確な区別もない世界に放り込み
毎月、残業 100時間越えは普通 という世界で頑張らせていたのです。

 

そのうち、近くのミッションスクールの学生研究室や各学部の事務室に
お昼の出前を始めることになり、午前中はとんでもない忙しさになりました。

 

洋食の出前、30年も前ですから そりゃあ珍しいですよね。
大繁盛でした。

 

そして、アルバイトを管理するのも私の仕事となり
名誉ではありますが、くたくたの毎日です。

 

昼と夜のごはん時、
誰が決めたのか ごはん時、
みんな等しくお腹がすく ごはん時、
そうなんです、その時は私だってお腹がすくんです。

 

まさにサービス業、自分の空腹を顧みず
他人のためにせっせと食事を提供する、
あぁ、自分には本当はそこまでサービス精神はない。

 

そのうちに、一般企業を対象に洋食弁当の仕出しもやるということになり、
私は終業時間はそのままに、始業時間だけが更に 1時間半も早くなりました。

 

気が付けば、早 12年

 

自分の休日  自分の時間  余力があればとことん使おうとする経営者
その経営者はまさに怪物級で、毎日私より3時間以上 最前線で仕事しているため
言うに言えず…。

 

おかしい、ほかの会社の人や出前先の学校の事務室の職員たち、

 

どうして自分だけこんな環境なんだろう、こんなの誇りに思うことじゃないんじゃないか ?

 

何かが違うのではと、やっと気が付き始めた私でした。

 

 

 

 

自由を求めつつも再び雇われの身へ

 

違う仕事へのあこがれ

 

隣の芝生は緑が濃いわけで 

 

今までもしっかりサラリーマンだったのに
私の心にあったのは

 

「普通のサラリーマンになりたい」 でした。

 

自分で起業しようなんて
これっぼっちも思い浮かびませんでしたね。

 

教育の弊害と思っていますが、
完全にコマとして生きていく種類の人間だったのです。

 

自分の時間は、自分の自由は、
普通のサラリーマンで頑張れば手に入るのだと

 

世の中の (今で言う) ブラック企業は飲食業だけだと信じ込んでいました。

 

 

通販の会社の営業マンとして一から出直したのが
36才のときでした。

 

飲食業ほど拘束時間は長くはありませんでしたが、時間で縛られ
転職を機に引っ越しをしたのですが、住みたいところに引っ越す という
当たり前の引っ越しではなく、仕事が決まってそこに通える場所へ引っ越すという、
今から思えば結局不自由な世界に自ら飛び込んでいったのでした。

 

 

その後も倒産やリストラに会い、
四回も転職を経験しました。

 

 

生活するのに不足はないものの、貯蓄に回すほどはもらえない給料。

 

自宅から通える範囲の会社勤め。

 

転職しても、そこに通える場所に住まいがないといけない。

 

結果だけを見てそれまでの努力には全く関心のない上司。

 

現場の状況がわからないまま、
上への報告のために焦って刈り取らせて
全てをぶっ潰してしまう ダメ上司。

 

言わなきゃやらないくせに、言われたことも満足にこなせない部下。

 

うわさ話や、悪いところだけを見ようとする同僚。

 

 

歳とともに転職は困難になり、若いころの夢とは裏腹の昇給で、貯蓄なし。

 

起業する資金もないし、勇気もノウハウもない。

 

定年したら、年金もらえる歳まで収入なし。

 

子供はまだまだお金がかかる。

 

 

こんなに追い詰められるとは。

 

 

 

会社員として一生懸命に働くというのは、良いことです。
でもそれは、自分の自由と引き換えに と言う事を意味します。

 

本来ならば 尊い行為です。

 

ですがそこに価値を感じてくれる経営者は多くはありません。
また、その価値に報いてくれる程、ゆとりのある会社も多くはありません。

 

 

不安で追い詰められ、

 

やっと見つけた仕事・・・。

 

会社勤めに限界を感じ、独立が前提の仕事、

 

それは、三度も挫折したアフィリエイトでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸

 

必死に学んで、正しいやり方と信じた方法を信じ続けて半年。

 

収入が発生し始めてからは、
パソコン一台で、好きな時に好きな場所で たった一人で 気ままに お仕事。

 

 

時間の自由
生活環境の自由
人間関係の自由
お金の自由
そして 5つ目の 心の自由

 

 

勇気を出して 信じて続けたアフィリエイト
師匠と信じたそのお方の勧める教材で
人生を取り戻せました。

 

多くの同じ境遇の方々に教えてあげたい。
必ずいるに違いない、不安の塊を誰にも言い出せない人たち。

 

そんな人たちに、このブログを見せてあげたい。

 

 


 
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