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一番最初に教えてあげたかった

老後に自由を手にして欲しかった人

 

 

定年後、老後を自由に生きる そんな言葉が一番遠い人だった。

 

 

その人は、小学生の時 水泳で当時の大人たちを魅了した。
その人の書いた書道の掛け軸は、遠く中国の展覧会にも出展された。
その人は、ボクシングで国体に出場した。
若い頃は社交ダンスに熱中し、昼は技術者 夜は夜間学校の先生だった。
部品を買ってきては、自分でテレビを組み立てて家族で観ていた。
ステレオを組み立てて、近所の知り合いに売っていた。

 

 

42才の時に離婚し、男手一つで二人の子供を育て上げた。
慣れない料理も 子供の弁当も毎朝作り続けた。
子供のソフトボール大会に応援に来て、選手が空振りしたバットが飛んできて、左目を失明した。

 

 

60才の定年を機に、小学校時代の友達が経営する会社に入り、それから 25年間 現役で働いた。
商談は、全てその人が仕切った。
85才の秋、現役のまま その人は亡くなった。

 

 

オーディオを愛し、80を過ぎてもゴルフコースを歩き回っていた。
そんなスーパーマン、その人は 私の父。

 

 

オヤジはクソ真面目でしたが、楽をすることが嫌いなわけではなくて 便利で新しい物にはすぐに飛びついてました。

 

 

80を過ぎて、生涯最後に所有した電話は iPhone でした。
ショップの店員さんが驚いていたそうです。

 

 

仕事を現役でこなしていたからこそ、ボケずに済んだとも言えます。

 

大きな病気をしなくて済んだのも、仕事への責任感が丁度よい緊張感を与えていたのかもしれません。

 

人生は、二度生きることは出来ないから、どちらが良かったかは 正直分かりませんが、

 

老いてなお、商談や交渉の最前線に押し出され、責任を負わされ、腹の立つことも数え切れないほど経験したはずです。

 

全部放り出して、どこかへ行ってしまおうと思ったこともあったようでした。

 

クソ真面目な性格が、その自由も許さなかったのだと思います。

 

 

 

ですが、
大好きなオーディオを楽しむのに充分な収入があれば、
好きな時にゴルフ場へ行ける時間とお金があれば、
気が向いたときに、息子たち家族のところへ行く自由があったら・・・

 

やはり、その生き方を選択したのではないかなと 思うんですね。

 

なぜそんな生き方が出来なかったかと言うと、
自分が働かなければ、収入が足らなかったからなんですよね。

 

子供家族が気を遣うし、自分も気を遣うだろうからと、
一緒に暮らすのを頑なに拒んだ父でした。

 

 

歳をとってもコンピュータをいじってました。
キーボードはあまり得意ではないようでしたが、
ブログやメルマガでアフィリエイトをすれば、やり方さえ間違わなければ、
驚く程の収入が得られると 教えてあげたかった。
一緒にやろう ! と 言ってあげたかった。

 

高度経済成長の一翼を担って生きてくれた世代の人。

 

それこそ欲しい物も我慢した世代。
それこそ食べたい時に食べ物が何もない時代を耐えた世代。

 

 

一緒に ボケ防止にキーボードをたたいて
5つの自由を手にして、
満足いくオーディオルームを作ってあげたり
二人で音楽を聴いて、ああでもない こうでもないと 無駄なおしゃべりに時間を使う。
オヤジのペースでゆっくり旅をする。

 

そんな親孝行が出来なかった。
申し訳ないです。

 

「これが俺の人生さ」 と 強がりを言ってましたが、休みたかったんだろうと思います。

 

もう私には、オヤジに教えてあげて一緒に楽しむことは出来なくなりました。

 

 

こんな後悔をしなくてもいいように、
この活動 【老後も社会に頼らず自由な生活を手にしよう】 を
これからもっと頑張って、一人でも多くの 人生の頑張り屋さんに伝えていきたいと思うのです。

 

 

これを読んで興味を持たれた方は、
5つの自由がどうやったら手に入るか を訪ねてください。

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